子どものころ、「近くを流れている川は、いつも、いつも流れていて水がなくならないのだろうか。
どこから流れ出してくるのだろう」と知りたくて、親に言わず、朝早く大人の自転車を三角乗りで飛び出したことがあった。
昼食も食べず、川から離れず上流へ上流へと行き、このときは源流には行きつけずに夜避く帰って、親に怒られた。
小さいころから、見たい、聞きたい、知りたい、触れたい、この「タイ」が強かったらしい。
七十歳になってもまだまだ子どものように「タイ」が出てきて、その先になにがあるのか知りたくなり、
見、聞き、知り、触れたくなる。
それがかなったときが私の幸せなのだろうか。
(中略)
登る体力・気力はあっても、体の一部がダメになり、もたもたしていると歩けなくなる。
「お前の登山人生も、残りはいくらもないぞ」と山の神様が知らせてくれる。
行けないとなると、いよいよ「見たい、知りたい」が大きくなる。1年我慢している問にだんだん思いが大きく膨らみ、
l座ずつの単発登山でなく、中アも含めて、フォッサマグナ糸魚川―静岡構造線の西側高地、
糸魚川から静岡まで全部つなげて見てしまえと、
日標が大きくなってしまった。そこには日本の屋根、北ア、中ア、南アがある。
北から南下すると地図を逆さまに読むことになるので、右と左を間違えるもとになる。
そのため、太洋から日本海へと北へ向かうことにし北アも南アも北へ向かって歩いてきた。
(中略)
70歳過ぎての単独行は目の前に大きな危険をつり下げで登るようだと岳友に言われるが、絶対に1人のほうがしっかり
「見る、聞く、知る」ことができる“2人で行けば得られるものは2分の1、3人なら3分の1になる。
私は会員数600人ほどの山岳会に入っていて.会山行では20人~30人、多いときには40人~50人で歩く。
そのときにはほとんど山を見ておらず、小鳥の声、かすかな風の音、沢の音などは聞こえず、
同行の人との会話のことしか頭に残っていない。
里のことを聞きたくて列から外れれば、アンカーのサブリーダーはじっと私の後ろで待っていでくれるので心苦しく、
知りたくてもなかなか知ることはできない。
もっとわがままを言わせてもらうなら、一日中歩いても誰とも会わす.深い原生林の中、
烏の声も風や沢の音もなに一つなく、
あるのは自分の登山靴で落ち葉を踏む音のみで,止まれば音のない静寂の世界を歩きたい。
このような所は複数で歩いたらもったいない。単独に限る。
このように思い、2014年3月に第1章の区間を1人で歩きだした。